clammbon 『tourist on the未来’n』
2003年11月19日 あるネットの知人から「クラムボンってどんなんですか?」と質問され、頭を右に45度傾け、そのまま1日を過ごす。
どんなんって言われてもなぁ……。
音楽専門学校で知り合った男女3人が「3人だけで表現できることを」と、キーボード・ベース・ドラムでバンドを始めて。
最初こそ、オーソドックスなポップをギターレスでしていていたのだけど、3rdアルバムで(椎名林檎で名をはせた)亀田誠一をプロデューサーに向かえ、"今風"のポップを突き詰めたあたりから『3人』という枷を外し好き勝手にしだして。
僕がクラムボンを好きになったのは、この3rdアルバムからで。それは別に亀ちゃんが携わったからではなく(ちょっと、それはイヤだった)クラムボン事態が"化け"始めたって感じたからで。
今でも僕的クラムボンbest3に入る9分の大作『ララバイ サラバイ』も、ライブで一番聴きたい『便箋歌』も、このアルバムに入っていて。
亀田誠一という、林檎や泉川そらみたいな音楽から、アイドルモノまでやってしまう"上手い人"がやってしまって、なんだか大げさなアルバムになったなとも思うけど。
亀田誠一から離れた4thアルバムでは、音そのものにこだわるようになって「実験音楽的な方向に向かったのかな?」って思ったけど(これも、当時の流行っぽかったけどね、スーパーカーやくるりみたいに)、最新5thアルバムで思ったのが"実験"ではなく"遊戯"となっているってことで。
もはや、デビュー当時のシンプルな編成は身を隠し、雑多な音で溢れてるんだけど、別に難しい事をしてるようでもないし。でも"〜っぽい"っていうのもないし。言うなら、やっぱり「楽しく遊んでる」って感じで。
つまりは、どの時期のどの音を指して『クラムボン』と言えばいいか分からないのですよ。
僕個人で言わせてもらえるなら、クラムボンは原田郁子のことであり、ベースで主な作曲をしているミト君は、彼女の引き立て役でしかなく。
『クラムボンは原田郁子です♪』って言っても、知らない人には伝わらないわけで。
右45度に傾いた頭を、直立に戻す。
説明なんてムリっ♪
と、開き直ったついでに、「具体的には説明できないけど、抽象的に説明してみよう!」ってことで、1日考えていたことを。
//以下、妄想。
-------------
とても悪戯な彼女は、僕の手を取り「遊びにいこうよ」と、可愛い笑顔で部屋から連れ出した。
夕方、町の母屋の上に広がる夕焼けはとてもキレイで、僕は忘れていた何かを思い出しそうになって……、いたら、いきなり後ろからケリを喰らい水溜りに溺れてしまう。
悪戯な彼女の大きな笑い声が聞こえて「楽しいでしょ?」というから、怒るのも通り越して笑ってしまう。
「待てよ、こんなことして!」笑いながら追いかける僕、彼女は笑って逃げていく。
どこまで走っても彼女はつかまらない。
町の裏通りを抜けると、野原につながっていて、進めば森は光につつまれていた。
今まで見えなかったことが、彼女の隣りだと色々見えていく……。
僕はどうして部屋で総てを分かったと勘違いしていたのだろう。
森のキリカブに腰掛けて、2人で言葉もなく湖を見つめる。投げる石は、水面にいくつかの円を描いていく。
彼女の横顔が、とてもシリアスに見えたから、少し戸惑うと、それに気づいたのか、彼女はコチラを見て、優しく笑った。
優しく笑った。
「またね」そういうと、また彼女は悪戯な笑みを浮かべて走り出す。
待ってよ、待って。思い出せないことがある。君の名前を思い出せない。君が誰だったか分からない。僕は君を知っていたっけ?君は僕を知っていたの?
走っても走っても追いつけず、彼女は空に消えていった。
それでも淋しくないのは、彼女の「またね」という言葉が信じられるから。
土で汚れた右手の中には、誰にも見えない"大切なモノ"が、しっかりとあった。
-------------
//妄想、ここまで。
……僕の、クラムボンの"イメージ"って、こんな感じなんですが。抽象過ぎて、なにがなんだか分からないですね。てへ。
まぁ、いえばポップです。"ゆるい"んだけど、それだけじゃない"尖った"何かを隠し持ってる感じです。
今月に新譜が出たので、CDショップの視聴機で聞くこともできるでしょうが、それもメンドクサイならば、彼女のネット・ラジオを聴いてみてください。短いけど、歌も流れております。
※i radio『胡麻みそズイ』
http://clammbon.i-radio.fm/
どんなんって言われてもなぁ……。
音楽専門学校で知り合った男女3人が「3人だけで表現できることを」と、キーボード・ベース・ドラムでバンドを始めて。
最初こそ、オーソドックスなポップをギターレスでしていていたのだけど、3rdアルバムで(椎名林檎で名をはせた)亀田誠一をプロデューサーに向かえ、"今風"のポップを突き詰めたあたりから『3人』という枷を外し好き勝手にしだして。
僕がクラムボンを好きになったのは、この3rdアルバムからで。それは別に亀ちゃんが携わったからではなく(ちょっと、それはイヤだった)クラムボン事態が"化け"始めたって感じたからで。
今でも僕的クラムボンbest3に入る9分の大作『ララバイ サラバイ』も、ライブで一番聴きたい『便箋歌』も、このアルバムに入っていて。
亀田誠一という、林檎や泉川そらみたいな音楽から、アイドルモノまでやってしまう"上手い人"がやってしまって、なんだか大げさなアルバムになったなとも思うけど。
亀田誠一から離れた4thアルバムでは、音そのものにこだわるようになって「実験音楽的な方向に向かったのかな?」って思ったけど(これも、当時の流行っぽかったけどね、スーパーカーやくるりみたいに)、最新5thアルバムで思ったのが"実験"ではなく"遊戯"となっているってことで。
もはや、デビュー当時のシンプルな編成は身を隠し、雑多な音で溢れてるんだけど、別に難しい事をしてるようでもないし。でも"〜っぽい"っていうのもないし。言うなら、やっぱり「楽しく遊んでる」って感じで。
つまりは、どの時期のどの音を指して『クラムボン』と言えばいいか分からないのですよ。
僕個人で言わせてもらえるなら、クラムボンは原田郁子のことであり、ベースで主な作曲をしているミト君は、彼女の引き立て役でしかなく。
『クラムボンは原田郁子です♪』って言っても、知らない人には伝わらないわけで。
右45度に傾いた頭を、直立に戻す。
説明なんてムリっ♪
と、開き直ったついでに、「具体的には説明できないけど、抽象的に説明してみよう!」ってことで、1日考えていたことを。
//以下、妄想。
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とても悪戯な彼女は、僕の手を取り「遊びにいこうよ」と、可愛い笑顔で部屋から連れ出した。
夕方、町の母屋の上に広がる夕焼けはとてもキレイで、僕は忘れていた何かを思い出しそうになって……、いたら、いきなり後ろからケリを喰らい水溜りに溺れてしまう。
悪戯な彼女の大きな笑い声が聞こえて「楽しいでしょ?」というから、怒るのも通り越して笑ってしまう。
「待てよ、こんなことして!」笑いながら追いかける僕、彼女は笑って逃げていく。
どこまで走っても彼女はつかまらない。
町の裏通りを抜けると、野原につながっていて、進めば森は光につつまれていた。
今まで見えなかったことが、彼女の隣りだと色々見えていく……。
僕はどうして部屋で総てを分かったと勘違いしていたのだろう。
森のキリカブに腰掛けて、2人で言葉もなく湖を見つめる。投げる石は、水面にいくつかの円を描いていく。
彼女の横顔が、とてもシリアスに見えたから、少し戸惑うと、それに気づいたのか、彼女はコチラを見て、優しく笑った。
優しく笑った。
「またね」そういうと、また彼女は悪戯な笑みを浮かべて走り出す。
待ってよ、待って。思い出せないことがある。君の名前を思い出せない。君が誰だったか分からない。僕は君を知っていたっけ?君は僕を知っていたの?
走っても走っても追いつけず、彼女は空に消えていった。
それでも淋しくないのは、彼女の「またね」という言葉が信じられるから。
土で汚れた右手の中には、誰にも見えない"大切なモノ"が、しっかりとあった。
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//妄想、ここまで。
……僕の、クラムボンの"イメージ"って、こんな感じなんですが。抽象過ぎて、なにがなんだか分からないですね。てへ。
まぁ、いえばポップです。"ゆるい"んだけど、それだけじゃない"尖った"何かを隠し持ってる感じです。
今月に新譜が出たので、CDショップの視聴機で聞くこともできるでしょうが、それもメンドクサイならば、彼女のネット・ラジオを聴いてみてください。短いけど、歌も流れております。
※i radio『胡麻みそズイ』
http://clammbon.i-radio.fm/
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